あれから9年の月日が経ちました。

3.11は、私たちにとって決して忘れられない日となりました。あの忌まわしい東日本大震災から明日で丸9年を迎えます。当時を思い出すと、つい昨日のようにいろいろな光景が走馬燈のように蘇ってきます。地獄絵のような町並み、特に沿岸部はほぼ壊滅状態でした。その日、私は、年度末と言うことで、公共工事の竣工を間近に控え、竣工写真を撮ったり、竣工書類の整理に追われていました。

午後1:30、鹿島区右田のM工務店さんへ集金へ行き、その後原釜の親戚が経営するガソリンスタンドへ、給油へ向かったのが、2:30頃だったかと思います。そして、会社へ戻り、集金してきたお金を事務所へ預け、その日から着工した、鹿島区御山の共同墓地給水工事現場へ向かい、その途中の県道沿いで、激しい揺れを感じ民家の敷地内に駐車し、様子を見ていたら、屋根瓦が崩れ落ち、激しい揺れが何度も続きました。ようやく現場へ到着したら、職人さん達が、大きな木にしがみつき、揺れが収まるのを待っていたようです。山の中の現場なので、掘削したまま、職人さん達を帰宅させました。

あとでわかったことですが、M工務店さんの社長ご夫妻と消防団だった長男が未だに行方不明のままです。また原釜の従姉妹は、津波に流され、おしゅうとさんと一緒に発見されたのは、数日後でした。

我が家でも、屋根瓦が落ちたり、大変な被害でした。3.15日朝、当時次男が住んでいた千葉県習志野市へ急きょ避難。ガソリンが無いまま、那須まで走り、その日から走り始めた新幹線に飛び乗り、上野へ向かいました。都内に住むおじさん家族に母親をお願い、約半月千葉で避難生活をしていました。思い出すと今でも涙がこぼれてきます。

皆さんも同様な経験をされてきたかと思いますが、9年経って、今度は、新型肺炎コロナウイルスに全世界的に見舞われ、株価の急落、ホテル、観光、コンサート関係、スポーツ関係と多岐にわたり、相当な被害を被っています。我々の業界でも、TOTO,LIXIL製品を始め、多くの住宅関連商品が入荷してきません。リモコンなどの電子部品を中国で作っているため、いつ入荷するか全く見通しが立っていません。これまでは、物流がしっかりしていたので、発注後2~3日あれば入荷していたのに、受注すら受付停止の状態です。このままでは、あらゆる業種で、不景気になり、しいては倒産が相次ぐ事になりかねません。いち早い収束を切に願うばかりです。

暗く重い話題になってしまい申し訳ありません。でも、震災で犠牲になられた多くの方々の思いを決して忘れないよう、そんな一日があってもいいのではないかと思います。犠牲者に明日午後2:46には、黙祷を捧げたいと思っています。